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2009年06月 アーカイブ

2009年06月02日

仏教における輪廻

仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から解脱することを目的とする。仏教教義では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は想定せず(無我)、主体の存在しない、無我だからこそ輪廻という現象が成り立つとしている。この点で、輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する他のインドの宗教と異なっている。

上座部仏教の見解では、原初的な「再生」ではなく、「輪廻」という概念を、はじめて完全に持ったのは釈迦である。当時のインド思想家たちのあいだでは、不明瞭な輪廻の概念があったにすぎず、釈迦はかれらの思想を認めたものの、輪廻を完全に把握してはおらず、不十分な理解であるとした。また当時のバラモン教には輪廻という概念はなかった。理由としては、仏教経典においては三つのヴェーダ聖典までが記録されており、他にも当時の様々な自由思想家(六師外道)の存在も記されているが、ウパニシャッド文献については全く記述がないことがあげられる。


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仏教における輪廻とは、単なる物質には存在しない、認識という働きの移転である。生命に永遠不滅の霊魂は存在せず、また、生命自体も、物質と様々な認識機能のあつまり(五蘊)であり、自我とはそこから生じる錯覚にすぎない。それゆえ輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。輪廻のプロセスは、生命の死後に認識のエネルギーが消滅したあと、別の場所において新たに類似のエネルギーが生まれるということである。このことは科学のエネルギー不滅の法則にたとえて説明される場合がある。この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、心とは認識のエネルギーの流れにすぎないため、これらは、心の流れとして一貫している。これが輪廻という現象である。また、このような一つの心が消滅するとその直後に、前の心によく似た新たな心が生み出されるというプロセスは、生命の生存中にも起こっている。それゆえ、仏教における輪廻とは、心の生滅全体を説明する概念であり、単なる死後を説く教えのひとつではない。

一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者のなかには、「釈迦は輪廻説を前提としておらず、インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」と主張する者も少なくない。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

とても奥が深いですね。

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